高く、崇く、昂く 【下】

 大鳳は忙しい訓練の合間を縫って、本当によくおじいさんに会いに行った。
 私は執務があり代わりの者を同行させることも少なくなかったが、徐々に我々とおじいさんは良好な関係を築いていった。そしてそれは双方にとって良き方向へ働いたようだ。
 まず大鳳の訓練成績がぐんと伸びた。おじいさんから教わっていることは訓練内容とは関係がないはずなのだが、以前に比べ艤装との相性も良くなっている。
 もう一つ嬉しい誤算がある。おじいさんの体調もどんどん良くなっているようなのだ。
 病気は確実に身を蝕んでいるはずなのに、以前に増して溢れる活力が彼に力を与えている。実際、難しいとされた夏をおじいさんは乗り切ってみせたのだ。これには病院の医師も驚いていた。
「できるだけたくさんお越しください。いや、しかし……艦娘には人を癒す力まであるのですか?」
 とは、主治医の言葉だ。私は苦笑いを浮かべるしかなかった。
 このまま全てが上手くいけばと願っていた。半分くらいは、実際にそうなるとも思っていた。
 だけど、終わりは突然やってくる。

 その日、私と大鳳はなだれ込むように病室へ駆け込んだ。おじいさんの容態が急変したと連絡があったのだ。
 おじいさんは酸素マスクをつけ、点滴の管に囲まれていた。静かに眠っているように見えた。
 しかし大鳳がふらふらと近づくと、おじいさんは瞼を開き、こちらをしかと見て笑った。
 自ら酸素マスクを外そうとして、側にいた看護師に止められてしまう。だけどしばしの押し問答の末、看護師の方が折れた。それを見て私はおじいさんの先が短いのを知った。
「大鳳、おお、よく来たな」
「おじいさん……」
 大鳳はベッドの前で膝から崩れ落ちるようにペタンと座り込んだ。私は見ていられなかった。
「そんな顔すんな……。言ったろ? 死ぬのは別に構いやしないんだ。……あいつらに、会いにいけるからな」
 私は大鳳を支えてなんとか立たせると、側にあった椅子に掛けさせた。おじいさんに大鳳の顔がもっとよく見えるように。
 だけど、大鳳の顔は涙でしわくちゃのままだった。
「私……私、まだ飛べてません。もっと教わりたいこといっぱいあるんです。だから……」
 逝かないで。その言葉は消えいるようにか細くて。
 しばらくの間、言葉も出せず涙を流し続ける大鳳をおじいさんは穏やかな瞳で見つめていた。別れを惜しむ孫と祖父のようだった。
「なあ、大鳳。おれは別に戦闘機に乗ることだけが飛ぶことじゃないって、お前さんらのおかげで、最近そう思えるんだよ」
「え?」
「おれは飛ぶのが好きだったあ。空が好きでな。透き通った青空も、暮れゆく夕陽も、挑戦心をくすぐられる強い風も全部ひっくるめて。そこに居られることに安心感を覚えたんだ。前世はきっと鳥だったな」
 そう話すおじいさんは少年のように楽しそうな笑みを浮かべていた。
「おれには相棒がいた。戦時中のことだ。真面目な奴でな……自慢じゃないがおれの飛行についてこられるのはあいつだけだったよ。大鳳を見てると、よく思い出す」
「私を……?」
「ああ。まあ、奴とは喧嘩もよくしたがな。努力家で不器用なところはそっくりだ」
「私、取り柄なんて何もなくて……。とにかく頑張ってないと不安なだけで」
 大鳳の本音。心からの言葉が、普段隠そうとしている弱音を通して、私にも響いてくるようだった。
 そんな大鳳の言葉を、おじいさんはうんうんと頷いて聞いていた。言葉が途切れると、彼もまた本音からくる言葉を我々に届けた。
「大鳳よ、今の居場所は心地良いか? 楽しいか? 心躍る場所、なんにも考えなくていい瞬間を見つけろよ。そこがお前さんの、おれで言う空だ」
「私が、楽しいと思える場所……」
 大鳳は涙を拭き取ると、精一杯の笑顔をおじいさんに向けた。それが一つの答えだった。
「提督さんよ、あんた、この子を幸せにできるか? おれたちは戦争で失うことが多かった。あまりに多すぎた。あんたはこの子に与えてやれ。難しいかもしれんが、頼む」
 私は今までおじいさんと大鳳の話を邪魔しないようにと、大鳳の隣に控えていた。
 一歩、前に出る。答えることは簡単だ。ただ、実行する覚悟があるのか。人生の先達はそれを見定めようとしている。
 だから、沈黙が長く続かない程度に軽く深呼吸し、ここに誓いを立てる。
「そのための、私です」
 おじいさんは満足げに微笑んだ。
 その日の夜、おじいさんは私と大鳳に看取られて眠りについた。
 秋の、月のよく見える透き通った空が印象的な夜だった。

 翌日、いつものように訓練に精を出す大鳳の姿があった。
「頑張ってるな、大鳳」
 私が声をかけると、彼女はこちらを向いて朗らかに笑った。
「はい! 今日は午後から発着艦訓練もありますから」
 必ず成功させます。そう続けた大鳳の瞳は意気込みと覚悟に満ちているように見えた。
 私は時間を作って顔を出すようにすると約束した。パッと開く鮮やかな笑み。昨夜、泣いて泣いて泣き疲れて眠った少女と同一人物には思えない。
 本当に強くなった。きっとそれはおじいさんとの出会いと別れがなければ得られなかったものだと、私は今日も澄んだ秋空に想いを馳せた。

 午後。大鳳は発着艦訓練のため海上に出ていた。
 私も哨戒艇で近くから様子を見守っている。無線を開き、大鳳へ繋げた。
「聞こえるか、大鳳」
「はい。こちら航空母艦大鳳、感度良好です」
「よし。準備ができたらこちらへ合図を送れ。そうしたら許可を出すから、まずは一編隊発艦してくれ」
「了解」
 そこで一度無線が途切れる。だけど私には、大鳳の緊張している心音まで聞こえてくるようだった。実際、望遠鏡越しに見える彼女は、胸に手を当て、下を向いたまま何か呟いているように見えた。

 高く、高く飛びましょう
 崇い彼らに届くように、昂い彼らの想いを抱いて
 高く、高く、飛びましょう

 私は耳を疑った。無線は以前繋がっていない。他のクルーも気づいていないようだ。
 だがそれは、紛れもなく大鳳の声。彼女の捧げる詩だった。
 やがて、大鳳がゆっくりと艤装を空へ向けた。無線が繋がる。
「こちら大鳳。発艦許可を」
「許可する。訓練始め!」
 大鳳のボーガン型艤装から矢が射出され、それらは空中で零戦へと姿を変える。ひとまずは見事な編隊飛行をとっている。だが問題はここからだ。
 こちらの指示通りに大鳳が彼らをコントロールし続けなければならない。西へ、東へ。
 大鳳の航空隊は非常に安定していた。大鳳自身どんな波に揺られようとも集中力を切らすことなく、彼らを導き続けた。訓練の賜物だ。大鳳の普段の頑張りを知るクルーの一人がそう呟くのを、私は聞いた。
 そして訓練は最終段階を迎える。難しいとされる、日が落ちかけの時間帯の着艦収容。訓練開始から実に二時間が経過している。大鳳の体力と集中力も課題だった。
 だけど、それも今までの話だった。大鳳は一機残らず戻ってきた航空隊を、なんなく艤装に迎え入れた。その瞬間、大鳳が満面の笑みでこちらを見た。
 上がる歓声。哨戒艇のクルーたちだ。私は何故か彼らによって望遠鏡から引き離され、胴上げさせられた。
 みんな嬉しかったのだろう。だが本来この胴上げの中心にいるべきなのは大鳳なのではと、そこは疑問に思う。すると、無線からくすくすと彼女の笑い声が聞こえてきた。
「提督、私飛んだんです。空を飛んだんです」
 私はおじいさんとの思い出が頭をよぎったが、あえてそこは否定することにした。大鳳は空にとらわれる必要がないと思ったからだ。彼女には、彼女の居場所がどこかにある。
 だけど大鳳にはもう私の声も届いていないようだった。綺麗な夕陽を眺めている。
 ふと、私も彼女と同じ方角を見た。二機の機影のような影が、遠くを飛んでいる。
 私は慌ててクルーを落ち着かせ、レーダーを確認したが何も映ってはいなかった。それどころか、歴戦の彼らがそんな影は視認できないと言うのだ。
 結局この機影については謎のまま終わった。あるいは……と思わなくはないが、私は提督のくせにオカルトは信じない主義だ。
 きっと世の中には謎は謎のままで良いことがたくさんあるのだ。今ここにある確かなものだけ信じれば良いと、私は哨戒艇に手を振る大鳳の姿を見て、そう思ったのだった。

 後日私はおじいさんのお墓を訪れていた。花は、持っていない。
 代わりと言っては罰が当たるが、私たちはいくらかの私財を募って、おじいさんのお墓をできるだけ高い丘の一番上に立てた。彼の愛した空が、よく見えるように。
「大鳳は行ってしまいました」
 私は墓前に向かって話しかけた。
「あなたとの約束は半分破る形になってしまいましたが……。栄転ですし、信頼できる提督なのは私が保証します。なにより、彼女はもう彼女の居場所を見つけたようですから」
 最後の日も笑って出て行きましたよ、と付け加える。
 私はほっとため息をついた。
 提督という立場上、限られた数しかいない艦娘との別れは多い。死別でないだけ今回ははるかに良き別れだ。そう自身に言い聞かせても、ここ数ヶ月のことを思うとやはり寂しさが残る。
 私はふと前方の空を見上げる。今にも泣き出しそうな空だった。
 おじいさんはどんな空も好きだと言っていた。私にも、どんな日も好きになれる強さがあればな、と思う。
 おじいさんと言えば、先輩が興味深い私見を話していた。私は墓前に報告すべきか迷ったが、結局周りに人影がないのを良いことに独り言のように話し始めていた。
「運命という言葉を、私は信じていません。ですから、すべて偶然の出来事の中で、あなたと大鳳が成し遂げたことだと私は確信しています」
 先輩の私見とは、他ならぬ大鳳の急激な成長のことだ。
 大鳳はかつて戦争を深く知る前に没した船だ。きっとおじいさんの戦争の記憶を聞くことでそれが補われ、艤装との関係に変化が生じたのではないか、という話だった。
 では大鳳の成長が必然だったとして、おじいさんの回復はどう説明がつくのだろう?
 先輩は微笑をたたえて首を振っていた。私もその時は困った顔を浮かべる他なかった。
「あなたがいたから今の大鳳がある。我ながら身勝手すぎる言い分ですが、そうとしか言えません。本当に感謝しています」
 私は深々と頭を下げた。もはやわからぬこととはいえ、おじいさんにとっても大鳳との出会いが良きものであって欲しいと願いながら。
 しばらくして、私は「また来ます」と呟くと踵を返した。
 だが、ふと、立ち止まり振り向く。
 厚い雲の合間から日差しが差し込んでいた。たったそれだけ。
 たったそれだけのことで私は、艦娘も空を飛ぶのかもしれないなと、そう思えたのであった。

終わり

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2021年10月18日