高く、崇く、昂く 【中】

 あの事故から八日目の朝、私は謹慎明けの大鳳を執務室に呼び出していた。世間や大本営相手には先輩が上手く誤魔化してくださったが、身内には知れている以上罰則は避けられなかったのだ。
 心苦しいが、これも頑張りすぎな大鳳にとって良い休暇になればと私は願っていた。そして久しぶりに見た大鳳の表情が生き生きとしていることに、ひとまず胸を撫で下ろしたのだった。
「久しぶりだな、大鳳。以上をもってきみの謹慎処分を解く。また私たちに力を貸してほしい」
「はい、提督。未だ訓練中の身ではありますが、また早く戦力になれるよう邁進する所存です!」
 彼女の明るい声に私も勇気をもらえる。どうやら本当に事故のことは引きずっていなさそうだった。正直なところ驚きもあったが、きっと謹慎中に心の整理をつけてきたのだろうと私はひとまず納得した。
 その日は発着艦訓練こそ行わない予定だったが、一通りの基礎トレーニングには戻ってもらうつもりだった。念のため秘書艦の鹿島が一日同行し、様子を見ることになっている。
 それらを大鳳に伝えると、彼女は自らの頬を二度叩き、わかりやすく気合いを入れ直していた。なんだか巣立ち前の雛鳥のような愛らしさだと、思わず口元が緩んでしまう。
 私はそれを誤魔化すように二人に退室を促し、一人になった後さっそく今日の執務に取り掛かった。順調な、順調過ぎる朝だった。

 先輩から悲報を聞いたのは、昼過ぎのことだ。
 あのおじいさんに精密検査を受けてもらった結果、膵臓がんが見つかった、と。もう手の施しようがないらしい。
 私はすぐに執務を切り上げ、大鳳にも午後の訓練の中止と同行を求めた。そうしなければならない予感がしたのだ。大鳳も神妙な顔つきで頷くと、黙って後をついてきた。
 病院までの車中、私たちは一言も言葉を交わさなかった。
 私はただ、前回の帰り際におじいさんが見せた哀愁を感じさせる笑みを思い浮かべていた。彼の人生は私には想像のつかないものに違いないが、その最後が病院のベッドの上ではあんまりだと考えてしまう。
 もう一度ゼロに乗せろ。
 記憶にあるおじいさんの言葉で最も力強い話し方だった。何か、私たちに報いる方法はないものだろうか。
 ふと、隣の席の大鳳を見遣る。彼女は心ここにあらずといった様子で窓の外を見上げていた。連れてきたのは、いや、そもそも伝えたのが失敗だったかもしれないと、私はここで初めて後悔が押し寄せた。もっとも、今さら引き返す選択肢も取ることができなかったのだが。

「私に飛び方を教えてください!」
 病室へ着いて大鳳の開口一番がこれだった。おじいさんへ頭を下げて硬直している。私も動揺のあまり入り口から一歩も動けず、おじいさんも似たようなもので、三者三様の理由で固まってしまった。
 どれくらいそうしていたかはわからない。おそらく体感よりは短いと信じたい。私は乾いた唇をサッと濡らすと、慎重に大鳳に問いかけた。
「大鳳? いきなりで彼も困っているじゃないか。私にもわかるように順を追って話してくれないか」
 それを聞いた大鳳は様子を窺うようにそっと頭を上げた。おじいさんと私を交互に見て、その顔色はみるみる赤く染まっていき……今度はその場を飛び退いて「すみません」と何度も謝罪を繰り返し始めた。
 大きな笑い声が響いたのは、その直後だ。
「ぶはははは! なんて面白い娘だ。大鳳っつたか、あんたのこと気に入ったよ」
 おじいさんはそう言うと、いかにも楽しそうにもう一度笑った。だけど、前回会った時よりもずっと血色が悪く見える。私の考えすぎなら良いのだが。
「ご無沙汰しております。お加減はいかがですか?」
「三ヶ月だと」
「なん……、何がでしょう?」
「誤魔化さんでいい」
 私はどうしてとっさにしらばっくれてしまったのか、自分で自分を殴りたい想いだった。
 一方のおじいさんはまるで他人事のように話す。
「聞いておるんだろう。死ぬのは別にいい。それに、残りの時間も退屈せずに済みそうじゃないか」
「申し訳ありません……。ですが、それはどういう……?」
 私の不安をよそに、おじいさんは大鳳へと向き直ると、にっと歯を見せて笑った。
「教わりたいんだろう? 飛び方を」
「は、はい! ぜひ!」
 不安が的中してしまった。私は大鳳とおじいさんの喜びように水を差すことに心苦しさを覚えつつも、それはできないと断言した。今のおじいさんを戦闘機に乗せるわけにはいかないし、おそらく彼の操縦できる機体ももはや無いとわかっていたからだ。
 だけど、おじいさんはそれを承知していた。
「わかってるわかってる。おれが教えられるのは知識だけだ。だからな、大鳳。おれの代わりに飛んでくれ。飛べないおれの、最後の頼みだ」
「はい。私、きっと。ね、いいですよね? 提督」
 大鳳が弾けんばかりの笑顔で私を見る。断れるはずが、なかった。
「わかった……。だけど一人では駄目だ。それと彼の体調に必ず合わせること」
 最後に「大鳳をお願いいたします」とおじいさんに頭を下げると、彼はまたにかっと笑った。哀愁など感じさせない笑みだった。

 帰り道、大鳳にどうしても聞きたいことがあった。
「なあ、大鳳。どうして急にあんなことを言い出したんだ?」
 それを聞いた彼女はわずかに萎縮したように見えた。慌てて、怒っているわけではないと誤解を解くと、ぽつりぽつりと話してくれた。
「私、謹慎中ずっと同じ夢を見てたんです」
「夢?」
「はい。その夢の中で私は空を飛んでいて……。周りにもたくさん零戦が飛んでいました。私は彼らと飛んでいたんです」
「空を……か」
 私は驚いていた。艦娘はその性質上かつての夢をよく見ることは知っていたが、空母が戦闘機の夢を見たというのは初めて聞く事象であったからだ。
 大鳳は話し続けた。
「そして、いつもどんな時でも先頭を優雅に飛んでいる機体があったんです。その零戦はいつも周りの機体から褒められていて、私も見惚れるほどでした」
「そうか。それでおじいさんに……」
「はい。夢の中で僚機のみんなが先頭の機体を指して言うんです。『上手く飛びたきゃ、あいつに教わりな』って。でも現実の私にはあのおじいさんしか思い浮かばなかったので」
 大鳳は語り終わると、私にぐいっと身を寄せてきた。
「提督。私、頑張ります。ちゃんと訓練もこなします。ですから……」
 皆まで言うなとはこのことだった。私は大鳳を信頼している。
 そのことを伝えると、大鳳はほっとした表情を浮かべて私の肩にもたれかかった。
「大鳳?」
「提督……空を自由に飛ぶって、どれほど気持ちがいいんでしょう……」
 きっと想いを馳せているのだろうと思う。私の声も聞こえているのかわからなかった。
 しかし鎮守府まではあと少し。私は要らぬ噂が立たないようにと彼女を起こそうとした。
 そんな私の耳に聞こえてきたのは大鳳の小さな寝息。きっとずっと気を張っていたのだろうと思うと起こすに起こせず、結局私は入り口ゲートで待っていてくれた鹿島に嗜められたのであった。

つづく

<< >>

Novelsへ戻る
TOP

2021年10月18日