高く、崇く、昂く 【上】

「提督、私飛んだんです。空を飛んだんです」
 夕焼け空の下、自身も興奮で顔を朱色に染めながら彼女がそう言ったのをよく覚えている。
 艦娘は空を飛ばないよと私が苦笑すると、だけど彼女はさして気にするでもなく、沈みゆく太陽とそこに映った黒い機影を眺めていた。
「きれい……。それに、なんて気持ちのいい風なの」
 夕陽に目を細めて彼女はとても幸せそうな笑みを浮かべていた。
 その日、艦娘大鳳は初めての発着艦訓練を成功させたのだった。

 大鳳は見ていてもどかしいほど性能を持て余している娘だった。
 まず前提として自信というものが欠如していた。おそらくは過去の記憶とリンクしていたのであろう。そのせいで艤装もまともに扱えない期間が長かった。
 ただ彼女の名誉のために言っておかなければならないが、彼女ほどの努力家は私の知る限り稀有だ。よく訓練に励み、人の身体に慣れるための基礎トレーニングも欠かさなかった。
 不幸は、頑張っているのに結果が伴わないというその一点に集約される。そんな状態で自信を持てと言う方が無理な話なのだ。
 それでもそんな彼女が、ついぞ空母機動部隊の一員として前線に栄転となったのにはあるきっかけがある。
 それは、今から約半年ほど遡った桜の季節。かつてのエースパイロットとの出会いだった。

「ごめんなさい提督! 私、またとんでもないことを」
 そう言って私の前でペコペコ頭を下げているのが、他ならぬ大鳳だった。
「訓練中の事故だ。幸い死人は出ていないし……まあ、何かあった時にクビを切られるのが私の役目だ。お前が気にすることじゃない」
「クビって!? 提督に罪はありません。私が、私が悪いんです。私が……」
 項垂れる大鳳を前にそれ以上かけてやる言葉すら浮かばない。部下の手前格好つけているが、実のところ私自身ギリギリなのだ。クビというのもあながち冗談ではない。
 というのも、今回の事件は民間を巻き込んでいる。大鳳の発艦した零戦のうち一機がコントロールを外れ、事もあろうに民家に墜落してしまったのだ。おかげで一人暮らしのおじいさんが一人入院する羽目になった。
 口ではああは言ったが、おそらく大鳳自身への罰則も免れまい。出来るだけ軽くしてやれれば良いのだが。
「提督? どこへ行かれるのですか?」
 考え事をしながら上着を羽織る私に対し、大鳳が文字通り泣きついてくる。
 大本営に出頭すると思われているのであろう。私は苦笑いを浮かべた。遠くない未来、それこそ明日にでもそうなるに違いないが、だからこそ先に会いに行かねばならない人がいる。
「被害に遭われたおじいさんに直接謝罪を……な。謝って済むものでもないが」
 時計を見ると午後二時過ぎを指していた。金銭絡みは後日として、見舞い品くらいはどこかで調達できるだろう。問題は……。
 チラリと私の上着の裾にしがみ付く大鳳を見遣る。意地でもついて来るといった雰囲気だ。それに、置いていったら自ら営巣入りしそうでもある。
 私が「来るか?」と問うと、彼女は直立不動の敬礼の姿勢をとった。
「お供させていただきます!」
 声だけは勇ましいなと、また苦笑いが出た。

 支度を済ませた私達は、被害に遭ったおじいさんに面会するため鎮守府を出た。当事者と責任者が同時にいなくなるのは何かと問題がある気もしたが、そこはまあ……信頼できる秘書艦に一任しよう。帰りに好物の甘い物を買っていけばきっと大丈夫。目下心配なのはおじいさんと大鳳のことだった。
 命に別状はないとはいえ、このおじいさんはかなりのご高齢という話だった。身寄りはなく、一軒家に一人暮らし。その家も我々が壊してしまった。なんともやるせない。
 大鳳は大鳳で失敗に次ぐ失敗に心底参っているようだった。特に今回は怪我人を出してしまったことで己を強く責めている。彼女の今後のことを考えて、心のケアは絶対に必要だった。
「大鳳、誰だって始めから優秀なわけじゃない。きみはこれからなんだ」
 病院への道中、車内でそう言い聞かせたが大鳳の反応は芳しくない。
「でも……」
「でもと言わない。おじいさんには私が話をするから、きみは後ろに控えていなさい」
 多少強引だがなんとか納得させる。なにせ大鳳ときたら、ずっと青ざめた顔で俯いて座っているのだ。こんな状態で被害者の方と面会させること自体得策とは思えなかった。
 そんな時、私用の電話に着信があった。私は無視しようかと思ったが、表示された名前を見て苦々しくも取ることにした。相手は士官学校の先輩で、今は提督の監査官をしている女性だった。
「私です。この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「……そう思うのなら今何処にいるのか言いなさい。まったく、慌てて駆けつけたのが私で感謝することです」
 先輩の声は思ったよりも余裕に満ちていた。私はおそらく予想されていると思いつつも、経緯と行き先を話した。先輩は大きくため息を吐いている。
「あなたらしいとは思います。ですが通常であれば相応の罪を着せられる行為であると自覚しなさい」
「通常であれば? では、何か朗報が?」
 私は食い気味に先輩の話に飛びついた。私の処分が軽ければ、少なくとも部下である大鳳にそれ以上の処分が降ることはないだろうと考えたのだ。
「最初にも言いましたが、まずあなたの幸運は私がこの事件の担当に選ばれたことです」
「感謝します、先輩」
 私は手を合わせ、頭の中に思い描いた先輩に頭を下げる。隣で訳もわからず真似をする大鳳が、少しおかしかった。
 と同時に少し声のトーンを落とした先輩の話が耳に入ってきて、緩みかかっていた気が引き締まる。
「大本営の方は上手く言いくるめられそう。郊外の一軒家だったから、報道規制と合わせて火事による事故として処理できそうよ。ただ……」
「ただ、なんです?」
「それらが上手くいくかはこれからのあなた達にかかっているわ。被害者の方と示談を成立させてほしいの。相手は零戦を落とした本人としか話さない……それが通らないならマスコミに真実を話すと言っているわ」
「本人というと……妖精?」
 私はわざととぼけて見せた。しかし、効果はなく話は予想通りの方向へ着地する。
「被害者の方に妖精が見えることを祈ることね。もっとも私の意見としては、今回の失敗の責任は妖精より艦娘の方にあると見ているけど」

 閑散とした部屋のベッドにそのおじいさんは横たわっていた。一人部屋なのはこちら側の配慮……と言うよりかは事情だろう。窓が一つだけ開いていて、そこから見事な桜の木が顔を出していた。
 おじいさんは私達が部屋に入ってもなんの反応も示さなかったので、初めは眠っているのかと思っていたが違った。花瓶に花を挿したところでおじいさんと目が合い、私は慌てて深く頭を下げるとこの度の非礼を詫びた。
 おじいさんは聞いているのかいないのか、横になったまま辺りを見回すと、急にしかめっ面になって私の謝罪を遮った。
「ゼロのパイロットはどこだ」
「なんですって?」
「だから、おれの家を駄目にした半人前はどこだと聞いてるんだ」
 おじいさんは語気も荒く、私の制止を無視して上体を起こした。再び病室内を見渡している。
 どこから説明すべきか、どこまで説明していいのか、迷っている私についにおじいさんが視線を合わせた。
「あんた、士官だろう。後ろのお嬢ちゃんがそうとも思えん。おれはあのゼロに乗っていた馬鹿者としか話さん。もっとも、おっ死んじまったって言うなら話は別だがな」
「それは……」
 なかなか笑えない冗談だったが、乗るのも手だ。訓練機のパイロットは突然の機体トラブルに見舞われ、なんとか郊外への着陸を試みたが、不幸にもそのどちらも叶わず若くしてその命を散らした……とでも言えばさすがにこのおじいさんもそれ以上追及できないのではあるまいか。
 しかしそんな悪い大人の企みは、実行前に私の後ろに控えていた純情な少女によって阻まれることとなる。
「私です! 私が悪いのです。本当に申し訳ありません!」
 大鳳が私とおじいさんの間に割って入り、必死に頭を下げて謝罪し始めたのだ。
 おじいさんは先ほどの怒気も削がれたようにきょとんとしている。私は頭を抱えたが、腹を括ってすべて正直に話すことにした。
「彼女は艦娘なんです。あなたのお家に墜落させてしまった訓練機は、彼女がコントロールしていたものでした」
「なんっ……艦娘? このお嬢ちゃんが?」
「ええ、ですからあなたの言われるところのパイロットはいません。ですがもちろん責任は彼女でなく上官の私にあります。あなたには十分な見舞い金が支払われますし、その他私達にできることであればなんでもいたす所存です」
 おじいさんは私の話も耳に入っていないようだった。じっと大鳳を見据えている。
 彼女も大層居心地が悪そうだったので、おじいさんの体調も加味して今日のところは一度お暇しようと、私が声をかけようとしたその時だ。おじいさんが小さく呟いた。
「そうか。大変だろうに」
 そして、私がその言葉を理解するより早く、彼は私の方を向いて神妙な顔つきで言ったのだ。それはとんでもない提案であった。
「あんた、謝礼になんでもするっつったよな?」
「え、ええ。……あっもちろん可能な範囲で、ですが」
「おれをもう一度ゼロに乗せろ」
「なんですって?」
 私は思わず聞き返してしまった。そして失礼と思いながら、おじいさんの細く血管の浮き出た腕や、しわの目立つ顔立ちをしかと見つめた。
 とても戦闘機の操縦に耐えられる年齢ではない。そう、年齢。その言葉が頭に浮かぶと同時にまるで閃きのように一つの答えが生まれた。
「あなたは、もしや……」
「安心しろ。腕なら自信があるんだ」
 隣で大鳳が首を傾げているが、私には確信できた。このおじいさんはあの戦争を経験している。言わば大鳳の同僚で、私の大先輩だ。
 だけど、現実として無理なものは無理だった。なにせ零戦なんて代物はもう艦娘が運用するのみで人が乗り込むことができない。乗せてさしあげられたとして哨戒機のオライオンくらいだった。
 それらの事実をおじいさんに伝えると、彼は初めとても不機嫌になったが、辛抱強く説明すると次第に理解してくれたようだった。ただ傍目に見ても納得はしたと言えず、どちらかと言えば現実を突きつけられて気力を大きく奪われた、そんな印象だった。
 結局、示談は金銭のみで成立した。私の首は繋がり、おそらくは大鳳への処分も一任される以上なくなったに等しいだろう。だけど、どこか虚しさが胸に残る。
 帰り際にすっかりおとなしくなってしまったおじいさんが私に声をかけた。
「花は持って帰ってくれ。すまんがどんな花も好かんでな」
 言われたとおりに花瓶から花を引き抜いた。拍子に花弁が一枚おじいさんのベッドにふわりと着地した。
「ああ、申し訳ありません」
 花が嫌いだというのに無視もできまいと、私は素早くそれを回収した。おじいさんはじっと花弁のあったところを見ていたが、ふいに口を開いた。
「お嬢ちゃん、あんた、名は?」
「え?」
 突然話を振られたからなのか、大鳳の驚いた声が聞こえてきた。おじいさんは視線をベッドに落としたまま、まるで固まってしまったかのようにじっとしていた。
 大鳳が私の方を見たので私は静かに頷いて見せた。
「大鳳です。航空母艦大鳳、それが私の名です」
 おじいさんはしばらくの間考え込むかのようにその名を繰り返し呟いていて、私には何を考えているのかわからなかった。
 それでも、最後には顔を上げ大鳳に向かって「良い名だ」と笑いかけていた彼の姿に、どこか哀愁だけは感じたのだった。

つづく

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2021年10月18日