高く、崇く、昂く 【幕間】

 我ながら馬鹿なことを言ったもんだ。
 もう一度空を飛びたいなどと……それで何が変わるわけでもあるまい。
 おれは昼間の出来事を思い返す。居間で茶を啜っていたら、突然爆音とともに庭にゼロが落ちてきた。
 迎えが来たと思ったさ。
 だがそいつはすぐに光の粒子になって、消えちまった。
 始めから何もなかったようだった。だが確かに家のいくらかが吹っ飛んでいて、庭には大きな跡。すぐに当局のお偉いさんだかがおれを連れ去りに来て、わけもわからぬままこうして病院暮らしだ。長生きなんぞするもんじゃない。
 窓から見える桜の木が、月に照らされてぼんやりと闇に浮かぶ様を、おれは眺めていた。
 花は嫌いだ。生きている奴らは何かと死者に花を送りたがる。あいつらは、おれたちは、花なんぞ好まない。
 おれたちはただ飛んでいたかったのだ。やれお国のためだの、愛する者のためだの言っても、結局は空が好きで戦闘機乗りになったのだ。そこになんの嘘もない。
 おれが死んだら空を供えてくれ。あいつらの墓前にも花ではなく空を。無理か? わかってる。おれもそこまで馬鹿じゃない。
 だけどここ数年で世界はずいぶん狂ったようじゃないか。船が人の娘の姿をとるように、おれが空を飛んで何が悪い。ああ、そうだ。恋しいとも。空が恋しいとも。
 戦争なんてクソ食らえだ。
 あんなものさえなければ、おれたちはずっと飛んでいられたんだ。ずーっと、遥か遠くまで。何にも邪魔されないおれたちの世界で。
 おれは寝返りをうつ。視界から急に消えた桜の残滓か、不思議な靄が部屋の片隅に見えた。それは人の姿をしているように見えた。
「迎えに来てくれたのか?」
 おれは呟く。靄は変わらずそこにあった。
「へへ……違うな。叱りに来たんだろう。おまえは真面目だった。飛ぶことにも。戦争にも」
 靄が沈黙を貫くのを見て、おれは天井を見上げた。
「戦争と言やあ、初めて艦娘を見た。艦娘って知ってるか? あの頃のおれたちと変わらん歳頃で、国を背負って……大変だろうな。船なのに平和な海を知らねえんだ。大変だろうよ」
 しんと静まり返った部屋におれの声がただひとつ。だけど確かにあいつが聞いているという実感がおれにはある。
「なあ、何かしてやれないか。空にもおまえらにも置いていかれちまって、ずいぶん経った。おれが、おれだけがこうして残されたことがもし、罪じゃねえなら……やるべきことがまだあるって話なんじゃねえのかって、そう思うんだ。なあ、どっちだと思う? 相棒」
 おれがまた寝返りをうつと、部屋のどこにももう靄はかかっていなかった。
「けっ、堅物野郎が」
 おれは舌打ちすると布団に深く潜り込んだ。まるで自分で決めろと言われたようだった。
 薄い病院の掛け布団越しにもよくわかる、月明かりが鬱陶しい夜だった。

つづく

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2021年10月18日