ルセアと名乗ったその修道士の前で、おれはどんな顔をしていたのだろう。
院長先生と同じ名前、流れるような金髪、優しい瞳。見間違うはずがない。この人は院長先生の若かりし頃だ。あのひともまた運命の糸に手繰り寄せられて、英雄としてこの世界に喚ばれていたのだ。
なにせこのおれですら英雄なのだ。あのひとが選ばれない道理はない。
「あの、どうかされましたか?」
院長先生はそう優しく問いかけた。
話すべきだろうか。……いったい何を?
焦がれて、慕って、その背を追って……このひとを奪ったベルン軍が許せなくてエトルリア軍に参加して。戦って。
そのすべてを今のこのひとに話して何になる。自分の最期をおれならば知りたいか?
「なんでもないさ」
気づけば目を逸らしてそう答えていた。
「ですが……。いえ、今は戦いに集中いたしましょう」
異界の国、アスク。その村のひとつを守るためにおれたちは派遣されている。
なにせここには異界の英雄たちが揃っている。相変わらず能天気な兄貴とも会ったし、何かと小煩いチャドまで居た。全体でどれだけの異界があるのか知らないが、おれと同じ世界から召喚された英雄たちは決して少なくない。若かりし院長先生が居ても何もおかしくないし、偶然同じ軍に配置されることだってあるだろう。
偶然? 本当に偶然なのか?
おれたちを喚んだあの召喚士、たしか軍師も兼任していたはずだ。交わした言葉は多くない。だが、あのすべてを見通しているような瞳……脳裏にこびりついて離れない。
あいつがおれと院長先生の関係を知っていたとしたら?
「おい、おまえ。いつまで呆けているつもりだ?」
思考の海へ沈みかけたおれに大斧を持った男が声をかけてきた。もう少しで何かに手が届きそうだったというのに、それですっかり意識は覚めてしまった。
「レイモ……レイヴァン様。そのような言い方は」
「黙れルセア。これは遊びではないんだぞ」
鋭い言葉のナイフが院長先生へ向けられる。
おれはカッとなって男を睨みつけた。
「なんだ、おまえも何か言いたいのか」
それに対して男はおれを品定めするような目線を向けてきた。チャドの奴でもないのに、おれはおれの中の怒りを抑えるのに苦労した。
こいつは貴族だ。おれのような平民、それも孤児の言葉になんて耳を貸さないだろう。話をするだけ無駄だ。それでも。
「……そのひとは悪くないだろう」
「なに?」
「だから! 悪いのはおれだろうと言っている。関係のないひとに敵意を向けるな」
格好悪い。柄じゃない。それでもおれの前でそのひとをぞんざいに扱うことは許さないし、許されない。
男は顔色ひとつ変えなかった。院長先生だけが心配そうにおれたちを交互に見ている。
「ふん。ならば戦いに向け気を高めることだ。足は引っ張るなよ」
そうぶっきらぼうに言って、男は持ち場に戻った。
冷や汗が滴り落ちる。以前チャドが言っていたことを思い出した。
貴族はおれたちをどうにでもできる。逆らえない。
そんなものに縛られるつもりはなかった。ましてやここは異界。貴族だの平民だのは元の世界での肩書きだ。
それでも刻みつけられた記憶は消えないものだと実感した。
「あの」
そんなおれの汗を綺麗な布で拭ってくれたのは院長先生だ。
「顔色がすぐれないようです。本当にご無理は……」
「あんた、なんであんな奴に付き従ってる?」
差し伸べられた手を押し戻しながらおれは確認した。
「あんたほどのひとが、どうしてご貴族様にへつらう必要がある」
「それは……。そんな、買い被りです。それに私はコンウォル家に、レイヴァン様に仕える身ですから」
おれはその言葉にひどく衝撃を受けた。院長先生が貴族に仕えていた? そんなことは初めて知った。
いや、思い返してみればおれは院長先生のことを何も知らないのではないか。孤児院を営む以前、どこで何をしていたのか。どうしておれたちの面倒を見てくれていたのか。おれはなにも知らない。
「あんた、弱いんだな」
この感情を失望と呼んでいいのだろうか。
焦がれ、慕い、仇を討ちたいと願った。
そのひとが、いやそのひともただの人間だったと知って、おれは。
「そうかもしれません」
肯定してほしくなかった。その一言でおれの中で何かが外れる音がした。
きっとずっと縛られていたもの。元の世界でおれが一生縛られていたはずのその感情から、まさかこんな形で解放されるなんて。
だけど。その変わらぬ瞳を覗き込んで思う。
「今のあんたは弱い。だからおれが守ってやるよ」
今は共に戦う仲間として、あんたのことを守りたい。
仇を討つのではなく、その前に救いたい。今のおれにはその力がある。
不思議そうに、そしてどこか困ったように微笑むあんたを見て、ただそう思った。
終わり。