夏の強い日差しから隠れ、ついでに仕事からも雲がくれして、コンテナの陰で食べるアイスバーは格別の味わいだ。そう思うようになったのは、いつからだったか。
真面目だけが取り柄のような自分。必死に勉強して航海士になった自分。深海棲艦に怯えながら、それでも気丈に勤めを果たしてきた自分。
全部が自分に違いないけれど、少し無理していた自分だ。責任と恐怖と重圧でがんじがらめだった自分を救ってくれた“彼女”と出会わなかったら、とっくに潰れていただろう。
夏の深い青空から降ってきたような彼女。笑う姿は太陽のよう。
恩人で、今や友人で。一緒に仕事をサボってアイスバーを齧る少女を横目に見ながら、なんとなく感慨に耽っていると、彼女もその視線に気づいたようだった。
「なんだい兄ちゃん。呆けた顔して」
アイスバーを口にくわえたまま、小首を傾げる彼女。
その仕草、一挙手一投足が愛らしいと感じてしまうことは罪なことだろうか。
「いえ、涼風があまりにかわいいものだから見惚れていたんですよ」
「かー! 兄ちゃんも嬉しいこと言ってくれるようになったねえ」
そう言って彼女は僕の背をバシバシと叩く。
もう恒例となったじゃれ合い。むしろ照れを隠しているのは自分の方だ。
紛れもない事実として、僕は涼風に好意を寄せている。
しかし、成人男性と少女というだけでも世間体が厳しいのに、僕と彼女は種族からして違う。
僕は人間で、彼女は艦娘だ。ともに使命を帯びている身ではあっても、彼女のそれはことさらに重い。
それが察せる程度には長い付き合いになったとも言える。だけど理解すればするほど自分の馬鹿さ加減には呆れるほかにない。
人類の脅威である深海棲艦を前に、一人の男の恋など小さすぎる問題だ。第一、涼風にその気があるとも信じられない。
口もとのアイスは着々と減っていた。ゆっくり食べたとて、いずれは溶けてなくなってしまうだろう。
アイスバー一本分が僕らの秘密の休憩時間。暗黙の了解のもとにそうなっていた。
名残り惜しいな。そう考えていた時。
ふと、涼風がアイスバーを太陽の光に透かすようにして見つめているのに気がついた。
「溶けちゃいますよ」
「あ、そうだね。ごめんごめん」
何に対する謝罪なのか、彼女はバツが悪そうに頭をかいた。
そうしてぽつりと呟くように。涼風は珍しく覇気のない声を陰に落とす。
「このアイスがさ。あの広い空みたいに大きければなって」
「涼風は食いしんぼうですね」
「おうよ! あたい、アイスが大好きさ」
僕の照れ隠しに、今度は屈託のない笑みで応える涼風。
その顔が赤く火照って見えるのは、きっと日陰でも暑い、この夏のせいだと思う。
彼女もまた溶けゆくアイスを、去りゆく時間を惜しく思ってくれている……そんな願望は猛暑が僕に見せた見せた幻にすぎないのだ。
だけど、この時間が終わる前に。この夏が過ぎゆく前に。
熱に浮かされるのも悪くないのではないか。
「涼風」
「なんだい?」
振り向く彼女のアイスバーはもう残り少ない。
そのたった一言を口にするのに、心臓の鼓動が早鐘のように鳴った。
「いつか二人で、あの空みたいに大きなアイスを食べに行きませんか」
それは逃避行。存在しないものを探す旅。
彼女の事情も汲んだ上での、遠回しな今の僕の精一杯。
冗談で流れないでほしいと願いながら、きっとそうなることだろうとも思っていた。
しかし、彼女はその翡翠のような瞳を見開いてただこちらを見ていた。
手元のアイスバーが溶け出して、彼女の手をつたっていく。
長い長い時間だった。
「行けたら……良いなあ」
彼女がやけにしおらしく見えたのはその一瞬だけ。
次の瞬間には残りのアイスを一口にすくい取り、手をかざして空を見上げている彼女がいた。
「てやんでえ! 夏はこれからさー!」
アイスの棒にわずかに残った水滴に真夏の太陽が反射する。
きらめく光をその手に握り、涼風は僕に向かってはにかんだ。
「兄ちゃん。いつか連れてってよ」
「はい。いつか行きましょう」
不確かで、具体性のない約束。それでもそれが今の僕の精一杯。今の僕らの精一杯だ。
僕は涼風に倣って、アイスの残りを今年の夏ごと思いきり噛み締めた。
終わり。