23年6月22日

FFCC
ということで、あまりにもリルティが描けないために自分なりに書き留めを作りました。
まあこれでも後ろ姿は不明瞭なんですけどね……。さすがにアルティマニアには載っていなかったのでゲームでスクショを撮るか、今となっては貴重なアンソロも二冊持っているので、そちらを確認してみるのもありかなと。武の民を魅力的に描く探求の道はまだ始まったばかりです。

雑談
『推し』について考えてみます。
例えば艦これの満潮ちゃん。彼女はまさしく私の推しです。彼女は本当にあらゆる角度から見て魅力的で、「かわいい」も「格好いい」も「悲しげ」も「儚い」も併せ持つスーパー美少女だと私は常々思っているのですが、これはいわゆる推しフィルターを通しているからなのかと、ふと考えました。

鶏が先か、卵が先か、みたいな話になりますが、惚れているからどの感情も愛おしく見えるのか、どの感情も愛おしく感じるから推しなのか、というテーマです。先に言っておきますと答えは出ないものだと思うので自己満足解釈です。

まあ少なからず推しフィルターというものはあるでしょう。満潮ちゃんを好きになれない人がいるのも知っていますし、他の推しがいる人から見れば満潮ちゃんはあまり魅力的じゃないかもしれません。私が思う満潮像と同じ満潮推しの人の満潮像が食い違うことだってあるでしょう。
結局のところ誰もが自分を通して推しを見ているわけです。一人のキャラクターからいろいろな解釈が生まれるのはロマンがあります。

しかしさらにここで一歩踏み込んで『何故自分という人間は推しを好きになったのだろう』というのを言語化できれば、それは二次創作において表現のテーマに他ならない気がします。簡単な話、二次創作は推しの素晴らしいと思う要素を作品に託して世に表すわけです。その「素晴らしいと思う要素」は自らを通して見たものでしかなく、だからこそ他人に伝えるには作品という形にするしかないのでしょう。

二次創作の定義は人それぞれだと思いますが、私にとって二次創作とは『自己満足で推しへの理解を深める行為』だとたまにTwitterでぼやいています。それは今もそうですし、この先なかなか変わらないと思っています。
……ちょっと話が逸れてきちゃいました。元の命題に戻ると、推し方は各々違うでしょうが、こと二次創作者にとっては「魅力を形にして出力したい」と思える存在が推しとなり、そうして理解を深めていく中でさらにいろいろな表情が好きになっていく。よく言われる沼とはこの事だと思いますし、推しフィルターというのは、より細かく見たいと思えば思うほどそれに伴って分厚くなっていくものなんでしょう。
よって『惚れているからどの感情も愛おしく見えるのか、どの感情も愛おしく感じるから推しなのか』問題に関しては、相互に作用しあってどんどん沼に沈んでいく関係といったところなのかなと思います。興味本位でちょっとだけ沼に足を踏み入れた瞬間から加速度的に沈んでいくと考えれば、なるほど先人達は上手く表現したなあと思うばかりです。

また、フィルターが厚くなってしまったが故に見えなくなったものというのもありそうですが、それは別の機会にでも。自分のブログだからって長々と語りすぎました。あとちゃんと整理して書いていないのでたぶん相当見づらいです。考えるな、感じろ。

ということで今日はこのくらいで。
最近外はジメジメしていますが、落ち込みがちなこの季節を推し活パワーで乗り切りましょう!(/・ω・)/
それではー。

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