アントラクトを聴きたくて

 鎮守府の運営は多岐にわたる。
 作戦行動はもちろん、他の鎮守府との演習、情報交換。遠征で資源を蓄える任務もあれば、新装備の開発や深海棲艦への対策研究も自前で行う。
 その上で、民主主義国家における軍隊は透明性を保たねばならない。平和のための行動であっても、国民の理解を得られて初めて許されるといった側面は間違いなくある。だからミクロな視点で言えば、各鎮守府は近隣住民との関係にも気を配っているし、これはそうした活動の一環なのだ。

 児童保護施設でのお芝居。

 その脚本を提督殿から任された時は、正直言って嬉しかった。作戦参謀の一人である自分になぜこのような役が回ってくるのかと、配置された直後の僕であれば間違いなくそう思っただろう。
 だけど、誰が言ったか、艦隊は家族だ。命のやり取りが深海棲艦との間で行われる一方で、その最前線たる鎮守府の空気はとても温かい。艦娘が年端もいかない少女の姿であることも相まって、此処はまるで学校の様相だ。楽しいことも悲しいことも学びながら皆で乗り越えていく。そういった在り方を快く思う自分がいる。
 だからこの仕事を打診されたとき、家族の一員としてちゃんと認められているのだなと、胸がいっぱいになったのだ。

 なったのは良いが、いまは軽率に受け合ったことを後悔している。

「駄目だ。こんな脚本じゃ時間内に収まらない」

 一人呻いた。締切はちょうど一週間後だというのに、とんと構想がまとまらない。
 三十分間のお芝居はいざ手をつけてみると、少しばかり長くて、ほんのちょっと短かった。自らの予定は分刻みで立てている僕からすれば、このような有り様は想像もできない試練であった。

「二十分か四十五分ならちょうどなんだが」
「何をブツブツと言っているんだ?」

 少しばかり硬い日本語の発音に振り返ると、艦娘のサウスダコタがすぐ後ろに立っていた。日本式の敬礼もそこそこに、彼女はサンドイッチの入った弁当箱を脚本の横に置くと、そのまま僕の隣に腰掛けた。

「昼食だ。提督も心配していたぞ」

 そう言ってサンドイッチの一つを口に含む。
 一拍遅れて僕もそれに倣うことにした。腹が減っては……というやつだ。

 

「上手くまとまらないのか」

 彼女が指についたマスタードを舐めとりながらそう訊ねる声を、僕はせっせとペンを走らせながら聞いた。

「すまない。演者の皆にも迷惑をかけてる」
「タイムリミットはまだだろう。気にするな」

 そう言って、まさに演者の一人でもある彼女は、僕の肩越しに脚本を見つめる。背中に当たった柔らかい感触に、僕は思わず背伸びした。

「詳しくは聞いていないんだ。アクターは私含めて五人だったか」
「あ、ああ。お客さんも子供たち十人がいいところの小規模なものだよ」
「ふむ。オフ・オフ・ブロードウェイといったところか」

 僕が体を少し避けると、その分彼女が机と僕の間に割り込んでくる。青い髪から香水の甘い匂いがした。
 自分で言及するのもおかしな話だが、僕は女の子に慣れていない。特にサウスダコタのアメリカ式の距離感に弱い。こういう時はいつも決まって居た堪れないような、恥ずかしい気持ちになるのだ。

「それで私の役は? ……謎の戦艦X?」

 怪訝そうな声とともにようやく僕から離れてくれた彼女に対し、少々の申し訳なさを感じつつも、僕は説明した。

「きみは少し特殊な役なんだ。最初は黒いマントに身を隠して登場してもらう」
「ヴィランか? だがその役は提督がやると息巻いていたが」
「提督殿が? ああ……いや、あの人ならそうか」

 悪役は一人に限定して欲しい。出演者はこちらで決めるから。
 そう話していた彼のことを思い出して、不思議と納得がいった。脚本を僕に委ねても、それでも自分の方がよっぽど忙しいだろうに。なんとも彼らしい采配だ。
 腑に落ちて一人頷く自分に向けられた視線に気がつき、促されるままに説明を再開した。

「最初はそう。だけど劇中で実は無理やり悪に協力させられていたことが判明する。艦娘戦隊みんなの光にあてられて黒いマントを脱ぎ捨て、協力して悪をうち滅ぼすんだ」
「なるほど。昨日の敵は今日の友達というやつだな! 実に私好みの展開だ」

 急に背中を叩かれて前のめりになりながら、僕はとても嬉しかった。自分の脚本を彼女に喜んでもらえることが、こんなに心躍るだなんて。

「ありがとう。きみにそう言ってもらえると自信になるよ」
「なんだ。自信がなかったのか? 私は良いと思う。マイティの奴は悔しがるかもしれんが」
「悔しがる?」
「良い役だってことだ」

 そう話すサウスダコタの様子はなんだか誇らしそうで、僕の喜びに拍車をかけた。
 
 良かった、と思う。
 彼女の艦歴を提督殿に聞いていたことも。かつての呼び名に引っ掛けた特別な役を用意して、それを喜んでもらえたことも。

 女の子に慣れていないからって、誰からのスキンシップでも顔を赤らめるわけじゃない。好きな子と密着すればどうあったって意識してしまう。彼女には話していないが、そういうことだ。
 僕はサウスダコタのことが好きだ。嬉しそうな彼女の横顔を見つめて、再確認する。

「せっかくの晴れ舞台だ。稽古を頑張らないとな! この脚本はいつ完成するんだ?」
「あ、いや。それはその、実はまだ見通しが立たないんだ」

 一転して格好がつかない自分に不甲斐なさを感じながら、僕は正直に話した。ごまかしてもどうしようもないことだからだ。
 だから、彼女の次の言葉にとても救われた。

「なんだ。気にするな。上手くいかない時だってあるさ。それならまた私が手伝いにきてもいい。二人でやればすぐさ。そうしたらアカデミー賞だって夢じゃない」
「そうだな。そうしたらきみは主演女優賞だ」

 サウスダコタの自信に満ちた笑みで僕もなんだか気が大きくなったようだ。彼女の自信の根拠が僕の脚本だと思うと、なおさらだ。
 と、ふいに彼女のまとう空気が変わったように思えた。いつもは陶器のように白い肌がほんのりと赤い。

「私が主役……なのか?」
「あっ」

 間抜けた声が出た。
 一方の彼女はそれに気がついていないのか、胸に手を置いてひどく狼狽している。
 僕はその姿を見たことがないのに、妙に既視感があった。
 願望かもしれない。だけど、直立不動で視線を泳がしている彼女は照れているように思えた。無自覚な彼女の触れ合いに僕が取ったのと、同じ反応。
 そうだと良いなと強く思った。

「ま、また来るからな」

 そう言って扉も閉めずに出ていった彼女の背中を見つめながら、僕もまた顔が熱くなっていた。

「また。また、か」

 持て余すほどの気持ちを落ち着かせるように一人呟く。

 彼女がまた来てくれるのなら、脚本の完成をギリギリまで遅らせるのも悪くない。
 らしくもなくそんなことを思いながら、僕は提督殿にどう言って上映時間を延ばしてもらおうか、案を紙に書き出していた。

 終わり。

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2023年5月9日