にじのおはなし

 それは脳裏に激しい情熱を叩きつける。
 それはまるで夕焼けに染まる空のようだ。
 それは巣立つ小鳥の翼を模したようで。
 それは木々の揺れる様に似ていた。
 それは清々しい朝を迎え。
 それは決して底を見せぬ深い海に沈む。
 それは雅やかな誘惑を放つのだ。

 それは故郷のクリスタルの色をしていた。


 ひどい有様だと思う。フィーもぼくも肩で息をし、互いを互いに支え合うことで辛うじて立っている。

 クリスタルキャラバンを目指し、それなりに鍛錬を積んだつもりでいた。村から最も近いミルラの樹、それが根付く旧街道にまつわる小鬼の噂も耳にしていた。

 だけど想像と現実は思った以上に差があって。ぼく達新人二人はキャラバンの行軍について行くので精一杯。魔物との戦いでも何度も足を引っ張り、幾度となく死線を駆けることになった。

 最後に待ち受けた、この旧街道の主との戦いも本当に危なかった。もし姉さんが助けてくれていなかったら、今頃二人揃って電撃で丸こげにされていたはずだ。それを思うと胸がきゅっと竦んだ。

「……ルト?」

 隣のフィーが心配そうにぼくを呼んだ。臆病なぼくは、怯えを悟られまいと強がってみたけれど、こう震える手足じゃ格好もつかない。

 二人の肩が離れたのは一瞬で、またお互いに支え合う形に戻る。ぼくはもう、自分や彼女に嘘をついても仕方がないと諦めた。

「初めての戦い、怖かったね」

「……うん」

 言葉にすることで少しは気持ちが楽になるのかななんて、そんな浅はかな考えで呟いたら、自分でも驚くくらい気弱な声が漏れていた。だからこそ、一拍置いてフィーが同意してくれた一言が胸にじんわり温かかった。

 そして、彼女が作ってくれた心の余裕に突然七色の色彩が飛び込んできたんだ。
 ぼくは言葉を失って見惚れた。

「いつか、慣れる日が来るのかな」

 そんな時、隣から聞こえる不安気な声。フィーは今日のことをどう捉えているのだろう。ふいに、そんな疑問が頭を過った。

「ぼくは慣れそうにないよ。というより、慣れたくない……かな」

「どうして?」

 フィーは至極真面目な表情でぼくを見る。誰より真剣で、ちょっぴり負けず嫌いな彼女のことだ。きっと自分の不甲斐なさに、悲しみや怒りといった感情を多少なりとも覚えているのだろう。

 だって、きっとそうだろう。フィーは俯くばかりで目の前の光景を少しも視界に入れていないのだから。
 ぼくは眼前に広がる景色を指差すと、黙って彼女の肩を揺すった。

「……あっ」

 漏れる感嘆。ぼくは思惑通りの反応がもらえて、気がつけば自然と笑っていた。

「慣れたくないんだ。戦いの怖さも、乗り越えた先のこの光景も」

「きれい……」

 フィーは滝壺にかかった光の橋にすっかり夢中で、ぼくの話も聞こえているのやら、いないのやら。そうしてずっと瞳を輝かせて眺めていたけれど、しばらくして興奮気味に口を開いてくれた。

「そうだよね。また、皆で一緒に魔物に勝とうね」

「うん」

「それで、また皆でこういう景色を見ようね」

「うん。何度だって」

 ぼく達がそう決意するのに充分な衝撃を、目の前の光景は与えてくれた。主を喪ったばかりの滝壺にかかった色彩の橋は、世界にはこんなにも美しいものがあるんだって雄弁に語っているかのようだった。

 ふと、ぼくは花壇のまだ芽の出ぬ土に水をやった日々を思い出した。世界に意思があるのなら、たぶん同じ気持ちだろう。

 これからだ。
 ぼく達はこれからまた始まるんだ。

 

 

「で、どうするよ。アレ」

 シグルドが心底うんざりした顔でルトナス達を指差すのを、私は視線で追った。

「どうするも何も、休憩するにしてもミルラの樹の近くがより安全だ。動かせるようなら早めに移動するぞ」

 もとより二人の体力が戻ればそうするつもりでいた。私は空のクリスタルケージを抱え直すと、二人に声をかけようと数歩近づきーー。

「どうした? なぜ邪魔をする」

「おまえって本当そういうとこあるよな、レイン」

「そういうところとはなんだ。さっぱりわからんぞ」

 私が頭に疑問符を浮かべているのを見て、シグルドはますます苛立っている。

「だーかーら、あのいい感じの二人をどうやって……ってなんであたしがこんなことに気を回さなきゃなんねえんだ」

 そう言って地団駄を踏む彼女を見つつ、私の方もようやく合点がいった。

「ああ、虹を見ているのか。そうだなあ、初めてここに来たときはシグルド、おまえもたいそう気に入って半日ほど惚けていたな」

「うるせえし違えし、ああもう! ネイト、おまえからも何か言ってくれ!」

 シグルドはリルティ特有の赤い毛に覆われた頭をさらにわかりやすく沸騰させながら、一人クリスタルの加護の及ぶ限界で木々を観察していたユークの青年に呼びかける。

「ふむ。俺にも男女の色恋沙汰はさっぱりだ」

「明るい声でいきなり核心に触れるんじゃねえ!!」

 広場にシグルドの叫びが響き渡る。周囲の魔物は討伐済みのはずだが、不用心な行いに思わず顔をしかめる。やはり早く場を移した方が良さそうだ。

 ……色恋沙汰?

「あの二人はそういった関係なのか?」

「いやあ、だってそうとしか見えないじゃないか。実際」

 ネイトことオーヴァネイトは腕をひらひらと振りながらこともなげにそう答えた。

「恋……そうか。ルトナスが、か」

「どうした? やっぱり姉として気になるか?」

「茶化すな、シグルド。だが、そうだな……私としては」

 好意的に受け止めよう。そう答えつつ改めて二人の様子を確かめようとして――ルトナスと目が合った。
 どうしたことか、先ほどまではフィ・ナと抱き合っていたのに、今は妙な距離感でお互いにそっぽを向いている。顔も先ほどのシグルドに負けないほど真っ赤だ。

「シグルドが大声出すから」

 オーヴァネイトがぼそっと呟く声がいやに大きく聞こえるほど、静寂が場を支配していた。私自身、間の悪さを感じるほどだ。

「ルトナス」

 たまらず声をかけるも、意図せずして詰問するような鋭い声色になってしまう。ルトナスは萎縮したように下を向く。

 私はいつもこうだ。シグルドに呆れられるのも仕方がない。

 いろいろな言い訳や優しい言葉が思い浮かぶが、どれも私がルトナスにかけていい言葉ではないと感じる。結局、私は問題を先送りにすることに決めた。

「もう歩けるな。まだミルラの雫は手に入れていない。移動する」

 事務的に伝えて踵を返す。これでいい。
 だが、背後から二人がついてくる気配がしなかった。

「どうした? 置いていくぞ」

 たまらず振り向くと、今度はちゃんと顔を上げたルトナスの姿がそこにあった。

「えっと……フィーは大切で、守りたいヒトだけど、恋人じゃない……です」

 顔を赤らめ、困ったようにはにかみながら。それでもきちんと前を向き、ルトナスは想いを口にする。
 私は何か感情の渦が込み上げるのを久しぶりに感じた。その感情につける名前を私はよく知らなかったが、ただ平静を保とうと努めた。

「なら、支えてやれ。ミルラの樹はすぐそばだ」

 はい、といつも通り他人行儀に答えるルトナスと、一拍遅れて元気なく答えるフィ・ナの声を背中で受け止める。今年は紆余曲折の末、この新人二人を加えた五人編成のティパキャラバンだ。

 キャラバンになったからには家族だろうと恋人だろうと情に流されてはいけない。ルトナスだって言われなくともわかっているだろう。

 だけど、と思う。

 先ほどフィ・ナとの関係を話したあいつの姿はなかなか様になっていた。言葉に誠意があったと感じるのは既に家族の情に飲まれているのか……いや、そうとも言えないだろう。たしかに成長した弟の姿がそこにあった。

 ふとルトナス達がしきりに魅入っていた虹の橋に目をやる。何度も見慣れた光景に、私の心は動かない。
 とたんに光が眩しくて、そっと目を伏せた。

 つづく

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2021年10月15日