二人で一人のおはなし

 綺麗な朝日に照らされたあの日の約束を、ルトナスは片時も忘れたことはない。

 唯一無二の親友であるフィ・ナと交わした、共にクリスタルキャラバンになろうという誓いは、まだ幼かった自分たちにとって雲を掴むような話で。それでも二人はただ時を待とうとせず、あれから数年ずっと鍛錬の日々を過ごしてきた。

 来る日も来る日も剣を交わした。魔法を習った。地理を学び、旅のイロハを教わった。

 特にフィ・ナの努力は鬼気迫るものがあった。それは『認められたい』というただ真っ直ぐな想いゆえだと、初めはフィ・ナに懐疑的だった村人たちも徐々に気が付いてくれた。
 罪もなく親に捨てられ、盗人の子供という烙印だけを押された少女の健気な頑張りを馬鹿にする者はもういない。

 こうして村の一員になるというフィ・ナのささやかな願いは既に叶ったと言える。友達も多くでき、ルトナス意外と過ごすことも増えた。大人たちにも可愛がられ、よく笑い、食べ、修練に励んだ。ルトナスからしても一抹の寂しさこそあれ、それはとても嬉しいことだった。

 だからこそこう思うのだ。『フィ・ナはもうクリスタルキャラバンになんてならなくてもいいんじゃないか』と。だがそれは難しい願いであることも察していた。

 ティパは狭い村だ。みんなで助け合わねば生きていけないし、どこか一つの家業が破綻すれば村全体に影響も出る。クリスタルキャラバンの選出はいつも難題で、能力や意志だけでなく、そうした経済的、社会的な問題がいつも付きまとうのだ。その点でフィ・ナもルトナスも自ら生計を立てられる歳ではなく、保護者も実質村長夫妻ということで、言ってしまえば適任。自分たちで選んだ道とはいえ、これはもう既定路線なのだ。

 今年、キャラバンから一人抜ける。二年務めたクラヴァットの青年だが、彼の父が腰を壊してしまい、実家の牛飼いが人手不足となった。
 ティパの村のクリスタルキャラバンは通例四名で構成されていた。数が少なかった年は何度もあったが、それ以上はない。今年追加されるメンバーは一人だけということになる。

 ルトナスは今年で十三歳だ。クリスタルキャラバンとしては若いが前例がないわけではない。自然と訓練用の木剣を握る腕に力が入った。むざむざ大切な人を危険な旅に行かせる必要はない。

 フィ・ナにはもう居場所があるのだから。あの約束を破ることになるとしても、クリスタルキャラバンには自分だけがなるんだと、ルトナスはそう決意していた。その後は例え一人でもミルラの雫を持ち帰ることができると証明していけばいい。
 それが未熟な頭で考えられる限りの、誰も傷つかなくて済む最善策だった。

「村の外の世界ってどんな風だったかな」

 ある日の午後、村外れの大樹の根元に腰掛け、フィ・ナがどこか楽しげにそう呟いた。
 急にどうしたの、と首を捻るとフィ・ナは少し不服そうにこちらを睨みつける。

「急に、じゃないわよ。聞いてない? 今日あたりクリスタルキャラバンのみんなが帰ってくるって」

「うん。姉さんから一応手紙は受け取ってる。……ああ」

 そこでようやく要領を得た。

「今年こそ選ばれるといいね」

 本心を悟られないように極めて自然に言葉をこぼす。幸い、フィ・ナも街道のそのずっとずっと先を見据えていて、隣に座るルトナスに目をくれていないようだ。もし見られていたら、何か気づかれてしまうような、そんな居心地の悪さを感じて、ルトナスはおもむろに立ち上がった。

 すると、まるで呼び止めるかのように声をかけられる。

「ルトは知っていると思うけど、わたし、村のみんなに認めてもらいたくてキャラバンになろうとしたんだ」

 ほら、これだって。そう言うが早いかフィ・ナはルトナスの正面に回り込んで、クルリと回ってみせた。一つにまとめた髪とクラヴァットの伝統的な旅装束がふわりと舞う。
 フィ・ナはセルキー族であったが、親代わりの村長夫妻に合わせるようにクラヴァットとして振る舞っていた。そしてそのことでただの一度も迷いを見せたことがなかった。

「わたし、みんなが好きだよ。ローランおじいちゃんもマレードおばあちゃんも本当の家族だと思ってるし、ル・ジェとは喧嘩もするけど一緒に居て楽しいし、ティアナやタニアだってそう。雑貨屋のエルナさんも良くしてくれるし……」

 ひとりひとり、フィ・ナが名前を挙げる度、その瞳に彼らが光を足していくようだった。
 それがルトナスには少し眩しく感じて、 知らず知らず視線を逸らそうとしてしまう。 が、その度に回り込むようにしてフィ・ナが視界に入ってきた。

「毎日が楽しい。村のみんなが愛しい。どうしたらこの気持ちを形にできるかって考えたの。そうしたら、やっぱりクリスタルキャラバンしかなかった。わたしは村の日常を守る。みんなはきっとわたしを想ってくれる。わたしはそうしたい。そうあれれば良いって思ってる」

 言葉の熱とは裏腹に、気持ちの所在をひとつひとつ確かめるように慎重に語りかけてくる。そんなフィ・ナを前にルトナスはあまりに無力だった。

 父も母もとうにいなかった。姉は自分一人を置いてクリスタルキャラバンへ志願し、もう何年も姉弟らしいやり取りをしていない。

 ルトナスはクリスタルキャラバンにすべてを奪われたようなものだ。一方でクリスタルキャラバンのおかげで生かされてきた。そこに能動的な人生など微塵も無かったと言っていい。

 目の前の少女にしたってそうだ。彼女が望むから日々キャラバンを目指して鍛錬を重ねた。共に同じ夢を見た。……本当に?

「フィーはそうかもしれない」

 言葉が勝手に零れ落ちていた。

「本当はきみにクリスタルキャラバンになんてなって欲しくない。ずっと思ってて、だけど一度も言えなかった。きみが一生懸命だったから」

「……なんとなく、わかってたよ」

 一拍置いたフィ・ナの呟きがやけに遠くに聞こえて、ルトナスは終焉を感じていた。彼女の長年の夢と希望を否定して、もはや共にいられはしない。
 でもこれでいいんだと思い込むようにした。やはりクリスタルキャラバンには自分一人がなる。既にキャラバンに変えられた人生だ。せめてその最前線で生きようじゃないか。

 そう考え握った拳を、柔らかく解かれてルトナスは目を見開いた。

「ルト。わたしルトに会えて良かった」

「フィー?」

 どうしたことか、彼女は微笑んでいた。そのまま強引に手を繋がれ、よいしょと芝生へ倒れこむ。手が繋がっているものだから、ルトナスも抵抗できずに仲良く二人で空を見上げる形になった。

「わたしたち、一人じゃきっと空っぽのままだったと思うの。二人ともお母さんもお父さんも 居なくてさ、周り中信じられる人なんていなくて、たった一つ何かにすがって生きながらえてた」

「どうしたの、急に」

「急じゃないよ。ずっと思ってた」

 少し落ち着かないルトナスをよそに、フィ・ナは言葉を続ける。

「きみは自由だねって、そうルトが言ってくれたでしょ? あれがあったから今のわたしがあるんだ。わたしはわたしを信じていいんだって、押さえ込まなくていいんだって、わたしはわたしを定義することで生まれ変われたの」

 真っ直ぐに空を見上げ、隣にフィ・ナを感じながらルトナスは耳を傾けていた。不思議と心の騒めきは遠ざかっている。

「ルトはどう? わたしと出会って何か変わった?」

「変わった……こと」

 思い返せばたくさんあるようで、考え込むほど間違っているような不思議な感覚。
 雲の隙間から太陽が顔を出して、眩しさに瞼を閉じると、フィ・ナと繋いだ手だけがこの世界と自分とを繋ぐ鎖のような気がした。

「守りたいものができたんだ」

 言葉は自然と紡がれていた。

「ずっとただ守られるだけだった。父さんにも母さんにも姉さんにも。ううん、ぼくは村の人みんなに守られていたんだ。そしてそれをぼくは嬉しいと感じられなくて……むしろ不幸だと嘆いていたんだ」

 ゆっくりと瞼を開ける。暗闇越しに光の加減にもずいぶん慣れていた。
 隣に顔を向けると、フィ・ナと目が合った。彼女は見透かすように微笑んでいた。

 いつもそうだ。彼女は常に僕の一歩先で手を差し伸べている。迷子の僕は手を取るしか道はなく、だけどいつもそれに救われた。
 ルトナスは起き上がると、フィ・ナの隣に跪いて改めて手を握った。

「ぼくはフィーを守るよ。きみの安全だけじゃない。あらゆるものからきみの自由を、心も守る。それがぼくの一番やりたいことなんだ」

「ありがとうルト。……でもわたしがただで守られるなんて思ってないわよね」

 優しい瞳からいじわるな目元へ、フィ・ナはコロっと表情を変える。こうして真面目な話は終わり、また二人は日常に戯れていく。先ほどまでと違うのは、たしかに二人が分かりあったこと。

 お互いが失くしていたもの。あの日分け合った存在理由。欠けていたものを与え合い、 二人で一人分歩んできた道のり。
 それらすべてを共有して二人はこれからも進んでいく。半人前未満から、ようやく二人で一人前になって。

 遠くで馬車の車輪の音がした。速達のモーグリ便が村の入口へと飛び込んでいく。もうすぐ水かけ祭りの準備で村中大忙しになることだろう。無事に務めを終える青年がいる今年はことさら盛り上がるに違いない。
 そして、引退する者がいれば新たに加わる者もいる。

 今年補充されるクリスタルキャラバンは一人分だけだ。

 

 つづく

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2021年10月15日